徳島に住んでいて、いつの間にか聞いて知っていた福島の橋の人柱伝説。
通る度に気にはなっていたんですよね。歴史とか伝説話は好きなもんで?
徳島市の人柱伝説とは何かを調べてみました。
伝説の舞台はここ
徳島市福島にあるのだと思ってましたが住所は徳島本町となっていました。
福島橋の人柱伝説はとくしま市民遺産に選定されています。
徳島市の市役所のホームページにも記載があります。
今も残される人柱伝説の橋台
江戸時代、福島橋は徳島城下における重要な橋の一つでした。ところが、この橋の架かる福島川はとても深く、流れも速かったため、洪水などのたびに橋が落ちたという記録があります。
このため橋の建設は非常に困難でした。そこで、工事に取りかかる日の亥の刻(午後10時頃)にここを通る人を人柱にしようという話が持ち上がりました。その時ちょうど通りかかった六部(全国66カ所の霊場に経文を納めて回る行脚僧)に懇願したところ、六部は人々のために自ら棺に入り埋められたそうです。六部は49日間鉦(かね)を打ち鳴らし続け、やがて橋は無事に完成したと伝えられています。
この伝説の橋台は現在も残され、福島橋の中ほどから見ることができます。近くに住む女性は「今も花を供えている人がいます」と話していました。人柱伝説の橋
更に調べてみると人柱の伝説には詳しい資料が残っているようで下記の3つも考えられるようです。
- 六部説:六十六部・諸国の寺社を巡礼している僧が人柱となった説
- 山伏(ヤマブシ)説:山伏が人柱になった説
- 乙女説:300年以上昔、白無垢を着た6人の乙女を人柱にしたという説
人柱とは
人身御供の伝説の一つ。架橋,築堤,築城などの水利,土木工事技術が未発達の時代,柱の強化の目的で,生きている人間を水底や土中に埋めたこと。神の心をやわらげ,人身のもつ霊質が柱に乗移るようにするためといわれる。日本には人柱の伝説が多いが,実際に行われたかどうかは定かではない。
今では穏やかに流れる福島川ですが、昔は流れも速く度々人々が困っていたようです。
どうにか、祈り力を注ぎ橋の建設を祈ったのでしょうか。
地元民の話
- この福島橋は十数年前に工事が行われたはずなのですが、その際人柱跡地を取り壊す話が出たそうです。
- 地元民や工事関係者の猛烈な反対や、なんらかの力で取り壊すことなく残ったそうです。
- 確かに新設された橋は通常の橋とは違って歩道部分が半月状になっていて空間部分に跡地があります。
伝説なのか
夜中にここを通る度、怖かったです。暗がりは想像力を豊かにするので色々と聞く話は怖さを倍増します。
でも調べ進むうちに、昔は今のように便利で発達した時代ではなく特に川が多く流れている徳島は移動や生活が大変だったと思います。洪水が起こる度に橋が崩れ、命まで落とすこともあったでしょう。人々は天候を恨み、願い祈るような気持ちで考えている中本当に信心の心で人柱を行ったのかも知れません。
真相は定かではありませんが
それから無事に福島橋を通行してこれた現在、先人たちの大変な苦労を忘れない称える為に「人柱伝説」として残されているとも言われています。
福島橋周辺はウォーキングのコースにもなっていて夕方には穏やかな川辺を見ながら皆さん歩いています。散歩をしながら現地にある伝説の看板を見に行ってみてはいかがでしょうか。
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